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東京家庭裁判所 昭和43年(家)12396号 審判 1969年8月20日

主文

一、申立人と相手方とは、当分の間現状どおり別居を継続せよ。

二、当事者間の当裁判所昭和四〇年(家イ)第三、八〇六号事件につき昭和四一年七月二七日成立した調停条項を昭和四三年三月一三日以降、次のとおり変更する。

相手方は、申立人に対し、昭和四三年三月一三日以降昭和四四年三月まで毎月金五万四、〇〇〇円宛、昭和四四年四月以降別居状態の解消するまで毎月金五万五、〇〇〇円宛、各月二〇日限り、申立人住居に持参または送金して支払え。

理由

一、当裁判所昭和四〇年(家イ)第三、八〇六号事件記録、本件記録添付の戸籍謄本、家庭裁判所調査官横田健二作成の調査報告書並びに申立人および相手方各審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  申立人と相手方とは、昭和二四年四月一一日挙式のうえ金物商を営む相手方の両親の住居である川崎市○○○町○○○審地において同棲し、同年一〇月六日正式に婚姻届出を了したのであるが、申立人は婚姻当初より身体が弱く、とくに胃や心臓の疾患により昭和二七年には病院に入院し、以来昭和三〇年秋頃までの間病院で療養生活を送つたこと。

2  申立人が右の如く病院に入院中、相手方は同居する父母朝康、みつのすすめもあつて、相手方の母方の従妹(母みつの弟の子)である荒川広子と交際を始め、申立人が病院を退院した後に、申立人と離婚したうえ、同女と婚姻することを前提として、同女と関係を結ぶに至つたこと、

3  申立人は、昭和三〇年秋頃病院を退院して、相手方が居住する相手方の両親宅に戻つたところ、相手方は、相手方と申立人とを離婚させ、相手方と荒川広子とを結婚させようとする両親のすすめにより同年一一月頃両親宅を出て東京都○○区内のアパートに単身居住し、次いで同年一二月頃右荒川広子と東京都○○区○○内のアパート(昭和三三年三月からは東京都○○区内のアパート)において同棲生活をするようになつたこと、

4  申立人は、相手方が両親宅を出た後、相手方の両親から冷たく扱われたことから、居たたまれず、昭和三〇年一二月末に相手方の両親宅を出て、川崎市内の兄山下利夫方に移り、次いで昭和三一年五月頃から東京都○○区○○町内のアパートに住み、某会社の経理事務員として働くようになつたこと、

5  相手方は、右の如く両親のすすめにより一方では荒川広子と同棲し、関係をもちながら、他方では申立人に離婚を迫る気にもなれず、申立人の居住するアパートにも連日立寄り、申立人と夫婦関係をもち、深夜になつて荒川広子の許に戻るという生活を続けたため、申立人も荒川広子も、相手方との間の子を妊娠し、申立人は昭和三三年九月六日長男真を、荒川広子は昭和三四年一月一日女清子をそれぞれ分娩し、申立人は長男真を分娩した後間もなく同児の監護養育のため退職したこと、

6  相手方は、申立人が長男真を分娩した後は、週に一、二回ほどしか申立人の許に立ち寄らなくなつたが、申立人の生活費および長男真の養育に要する必要な費用は、毎月かかさず申立人の許に持参して支給していたこと、

7  相手方は、昭和三五年頃一時申立人の生活費および長男真の養育費の支給をしなかつたことがあつたため、申立人は当裁判所に調停の申立をなし、当裁判所調停委員会の調停により、「相手方は、申立人に対し、婚姻から生ずる費用の分担金として毎月金二万円を各月一六日限り申立人住所に持参して支払う」旨の調停が成立したこと、

8  相手方は、次第に申立人から気持が離れ、遂に昭和三六年初め頃荒川広子とともに、川崎市の相手方父母の前記住居に移転し、父母と同居したのであるが、申立人は、物価の上昇と長男真の成長により、前記調停で定められた婚姻費用の分担金額では、申立人と長男真の生活を維持することができないとして、昭和四〇年八月一一日当裁判所に対し、前記婚姻から生ずる費用の分担金を増額することを求める旨の調停申立(当裁判所昭和四〇年(家イ)第三、八〇六号事件)をなし、当裁判所調停委員会の調停により、昭和四一年七月二七日に、「相手方は、申立人に対し婚姻から生ずる費用の分担金として昭和四一年八月から毎月一六日限り金四万円ずつ、および毎年六月、一二月に支給される期末、勤勉手当の手取額の半額をその月の一六日限り、いずれも申立人住所あて持参して支払う」旨の調停が成立したこと、

9  申立人は、昭和四三年三月一三日当裁判所に対し、「申立人と相手方との夫婦関係を調整する、相手方は申立人と同居する、相手方は、申立人に生活費として毎月金六万円を支払う」旨の本件調停を申し立て、本件調停は、昭和四三年四月二五日から同年一二月五日まで前後七回にわたつて行なわれたが、申立人は、相手方が荒川広子と婚姻外関係を解消して、申立人と同居すること、および同居する迄の間婚姻から生ずる費用の分担金として前回の調停において定められた毎月四万円を毎月六万円(その後六万五、〇〇〇円を主張)と変更し、また前回の調停において定められた期末、勤勉手当の手取額の半額を支払う旨の条項を相手方は、実行しないし、手取額ということでは、相手方が借財をして手取額を減らしてしまうので、税金を控除した額の半額を支払うように変更されたいと主張したのに対し、相手方は、自分の気持は全く申立人から離れてしまつており、申立人とはできれば離婚し、荒川広子と正式に婚姻したい、その際には長男真は引き取つて養育する、どうしても申立人が離婚に応じないのならば、このまま別居の生活を続けるほかない、絶対に荒川広子と別れて申立人と同居する気持はない、相手方は、前回の調停成立後、申立人の主張するように期末、勤勉手当の手取額の半額を申立人に渡していないが、毎月定められた四万円よりも多額の五万円ないし六万という金員を無理して渡しており、そのため借財が生じ、期末、勤勉手当はその借財の穴埋めにしている有様であり、したがつて、毎月の額を申立人の主張どおり六万五、〇〇〇円とすることは、申立人のために相手方が購入した家具等の月賦金の支払をも申立人がその金額の内でするというなら、承諾するが、期末、勤勉手当について支払をすることには応ずることはできないと主張し、両者ともこの主張を固執し、結局夫婦関係調整の点も、夫婦同居の点も、婚姻から生ずる費用の分担の点も、すべて合意が成立する見込がなく、昭和四三年一二月五日調停は不成立に帰し、同日夫婦同居と婚姻から生ずる費用の分担とは、本件審判手続に移行したこと、

10  申立人は、現在肩書住所のアパートに昭和四二年四月から長男真(現在小学校四年在学中)とともに相手方から支払われる生活費をもつて生活し、アパートの賃借料として、月額一万四、〇〇〇円(昭和四四年四月からは一万五、〇〇〇円)を支払つていること、

11  相手方は、現在公務員で課長の職にあり、昭和四三年三月頃から、肩書住所の公務員宿舎に、荒川広子および同人との間の子峰崎清子(相手方によつて認知され、相手方と同籍し、現在小学校四年在学中)、荒川春雄(相手方未認知、昭和四〇年一二月一五日生)、荒川麻子(相手方未認知、昭和四三年七月一六日生)、父峰崎朝康(母峰崎みつが昭和四三年二月死亡後従前営んでいた金物商の営業をやめたが、某工場に勤務してえている給料と従前の営業していた店舗を貸貸して若干の収入があり、その生活費は自らまかなうことができる。)と同居していること、

二、前記認定事実によれば、申立人と相手方とは夫婦である以上、相互に同居の義務を負い、したがつて、申立人は相手方に対し抽象的な同居請求権を有することは明らかであり、しかも申立人が、相手方と別居するのやむなきに至つたのも、相手方が申立人との夫婦関係を解消することなく、荒川広子と関係を生じて、同女と同棲したためで、全く相手方の責に帰すべきなのであつて、この点からすれば、相手方は、申立人と同居すべきであり、具体的な同居請求権を形成して同居を命ずべきであるといわなければならないが、既に相手方は十数年来荒川広子と関係をもつて同棲し、その間に三人の子を儲けており、同女と別れることが事実上困難な状況にあり、しかも相手方は申立人から全く心が離れており、現在具体的な同居請求権を形成して、相手方に対し、直ちに申立人と同居すべきことを命じてみても実効を上げることはできないことは明らかであり、しばらく時をおいて、相手方が申立人と一緒に生活する気持になるか、または荒川広子と別れることが可能な状態になるのをまつほかないのであつて、現状では従前どおり申立人と相手方とは、このまま別居状態を続けるほかないといわざるをえない。

このような場合については従来、実効が上がる見込がないとしても具体的な同居請求権を形成して同居を命ずべきであるとする見解と、実効が上がる見込がないのであるから具体的な同居請求権を形成することが適当でないとして申立を却下すべきであるとする見解とが対立しているのであるが、当裁判所は、具体的な同居請求権を形成して同居を命ずるべきでもなければ、また具体的な同居請求権を形成するのが適当でないとして申立を却下すべきでもなくむしろ当分の間別居を続けることを当事者に命ずることができ、かつ、これが相当であると解する。すなわち、抽象的な同居請求権があり、また具体的な同居請求権を形成することが可能であつても、同居請求権を形成して実効が上がる見込がない場合には、直ちに同居請求権を形成することを避け、当分の間別居を続けることを命ずる処分を、同居に関する処分の一つの類型としてなすことができ、かつ、これが相当であると解するのである。

三、次に、前記認定事実によれば、申立人と相手方とが別居するに至つたのは、全く相手方の責に帰することが明らかであるから、相手方は申立人に対し、婚姻から生ずる費用として、申立人の生活および長男真の監護養育に要する費用を分担すべきであるといわなければならない。

ところで、申立人は、婚姻から生ずる費用として、前回の調停において定められた毎月金四万円を金六万五、〇〇〇円に、また前回の調停において定められた、毎年六月および一二月に支給される期末手当および勤勉手当の手取額の半額を、期末手当および勤勉手当から税金のみを控除した額の半額に、それぞれ変更することを主張するのに対し、相手方は、現在相手方が申立人に対し買い与えた家具等の代金の月賦支払金額を含めて毎月金六万五、〇〇〇円とすることには応ずるが、期末手当および勤勉手当から税金を控除した額の半額を支払うことは、相手方の収入からみて、無理であるので応ずることはできないと主張しているのであるが、当裁判所は、本件においては、別表の労働科学研究所編の「総合消費単位表」の如き、一般的な統計に準拠して、相手方の収入より婚姻から生ずる費用の分担額を算定し、前回の調停において定められた額を変更する必要があるかどうかを判断することが、公正、かつ妥当であると思料する。

まず、各人の消費単位について考察するに、申立人は六〇歳未満の主婦であるので、八〇に該当するが、相手方と別居しているので、二〇を加算して一〇〇とみるべきであり、長男真は、昭和四四年三月までは、小学一~三年生として五五に、昭和四四年四月以降小学四~六年生として六〇に該当し、相手方は六〇歳未満の軽作業に従事する男子として一〇〇に該当し、荒川広子と相手方との間の子峰崎清子は、昭和四四年三月までは小学一~三年生として五五に、昭和四四年四月以降小学四~六年生として六〇に該当し、また同じく荒川広子と相手方との間の子荒川春雄は一~三歳として四〇に該当し、更に同じく荒川広子と相手方との間の子荒川麻子は昭和四四年七月一五日まで〇歳として三〇に、昭和四四年七月一六日以降一~三歳として四〇に該当する(右荒川春雄および荒川麻子については、相手方は正式に認知を了していないのであつて、申立人は右二児の養育に要する費用を考慮すべきでないと主張しているが、右二児が相手方の子であることは明白であり、正式に認知を了していないのは、相手方が申立人の気持を傷付けないことを配慮してのことで、認知をしようとすれば何時でもこれをなしうるのであり、右二児の福祉のためには、本件の婚姻から生ずる費用の分担を定めるに当つては、右二児の養育に要する費用も考慮すべきであると思料する。)。

なお、相手方の父峰崎朝康は、現在某工場に勤務し、小遣銭程度の収入をえているほか、元経営していた店舗を他人に貸し、若干の賃貸料をえており、自己の収入によつてその生活をまかなう能力があると認められるので、同人の生活費については、本件の婚姻から生ずる費用の分担額を算定するに当つて考慮する必要はなく、また相手方と同棲する荒川広子の生活費については、同女が申立人と相手方とが婚姻していることを知りながら、相手方と関係を生じ、同棲しているのであるから、本件の婚姻から生ずる費用の分担額を算定するに当つて考慮すべきでないことは、多言を要しない。

次に相手方の毎月の平均月収について考察するに、相手方の提出した昭和四三年度の給与所得の源泉徴収票および昭和四三年度における特別区民税の納税証明書によれば、相手方は昭和三四年度において一七三万四、八二五円の給与所得(毎月の俸給のほか、期末手当および勤勉手当を含む。)があり、国税(所得税)として一四万七、三〇〇円、地方税として五万三、九三四円(56,520円-(56,520/10×3)円+14,370円=53,934円)を徴収され、また社会保険料として七万〇、八八七円を支払つているので、これらを控除すると、結局昭和四三年度において相手方は一四六万二、七五四円の純所得があつたのであり、この一二分の一にあたる一二万一、八九六円が毎月の平均所得と認定することができる。

そこで、この相手方の平均月収から相手方の必要職業費として二割にあたる金二万四、三七九円を控除した額金九万七、五一七円を基礎として、申立人および長男真、相手方および相手方と荒川広子との間の三児の所要生活費を前記各人別消費単位によつて算定すると、

1  昭和四三年三月から昭和四四年三月までの間において、

イ  申立人および長男の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×(100+55)/(100+55+100+55+40+30)=97,517円×155/380≒39,777円

ロ  相手方および相手方と荒川広子との間の三児の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×225/380≒57,740円

ということになる。

2  昭和四四年四月以降同年七月一五日までの間において、

イ  申立人および長男の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×(100+60)/(100+60+100+60+40+30)=97,517円×160/390≒40,007円

ロ  相手方および相手方と荒川広子との間の三児の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×230/390≒57,510円

ということになる。

3  昭和四四年七月一六日以降においては、

イ  申立人および長男の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×(100+60)/(100+60+100+60+40+40)=97,517円×160/400≒39,007円

ロ  相手方および相手方と荒川広子との間の三児の所要生活費に充てることのできる費用

97,517円×240/400≒58,510円

ということになる。

以上によれば、相手方は、申立人に対し婚姻から生ずる費用の分担金として昭和四三年三月以降大略毎月約四万円を支払うのが相当であると認められる。しかしながら、ここに考慮を要するのは、相手方らは公務員宿舎に居住し、毎月安い宿舎料(約一、四〇〇円)を支払えば足りるのに反し、申立人は、アパートに居住し、賃借料として昭和四四年三月まで毎月金一万四、〇〇〇円、昭和四四年四月以降毎月金一万五、〇〇〇円を支払つていることである。当裁判所は相手方が、給与所得のほか昭和四三年三月頃から毎月筆耕、ほん訳等のアルバイトをして毎月平均一万五、〇〇〇円の収入をえていることも勘案し、相手方は昭和四四年三月まで毎月一万四、〇〇〇円、昭和四四年四月以降毎月金一万五、〇〇〇円のアパート賃料を前記額に加算して支払うのが相当であると思料する。

したがつて、相手方の分担額は、昭和四三年三月以降昭和四四年三月まで、毎月金五万四、〇〇〇円、昭和四四年四月以降毎月金五万五、〇〇〇円と定めるのが相当である。

ところで、前記認定の如く、申立人と相手方との間に昭和四一年七月二七日に成立した調停条項によれば、相手方は申立人に対し婚姻から生ずる費用の分担金として昭和四一年八月以降毎月金四万円宛および毎年六月、一二月に支給される期末、勤勉手当の手取額の半額をその月の一六日限り申立人住所に指参して支払うことと定められているのであるから、当裁判所はこの調停条項を申立人が変更を求めている昭和四三年三月一三日以降、前記の金額に変更し、また支払方法も持参のほか送金を認め、したがつて支払期日も多少の余裕を認め毎月二〇日と変更するのが相当であると認める。

なお、申立人は、前記調停条項中の期末、勤勉手当の手取額の半額支払について税金を控除したものの半額を支払うように変更を求めているが、当裁判所は、相手方の期末、勤勉手当を含んだ給与所得金額に基づき毎月の分担額を定めているのであつて、この部分の支払を別途定めることを必要としないのである。よつて主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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